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『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』 ~愛情と束縛~



『太陽の坐る場所』とも一部重なり、女性特有の感情や一筋縄ではいかない人間関係が描かれている作品である。
物語は大きく二つに分かれている。
みずほの章では、幼なじみのチエミが母親を刺して逃げた後から始まる。
行方不明である彼女の居場所を捜すためみずほはチエをとりまく人々、同級生や20代でよく遊んでいた女の子達、会社の同僚と手がかりを追って話を聞いてまわる。同時にライターとしての取材とある目的をかねて「赤ちゃんポスト」を設ける病院へ行くのだった。
色々な人の口からある女性の姿を語らせるというのは『太陽の坐る場所』でもあったが、あちらよりもこれは「グループ」というものを強調している気がする。
田舎で育ち東京に進学し、就職して地元に戻ったみずほ。対照的にずっと地元に残った友人。結婚した人、していない人。子どもがいる人、いない人。
それぞれ自分が選んだ道のはずなのにどこかコンプレックスがあったり、羨んでみたり。カテゴリに閉じ込められがんじがらめになる苦しさ、他人をうらやむ弱さ。状況が異なる者同士では決してわかりあえない壁。
みずほを通して見えてくる女性達の叫びに耳をふさぎたくなることが多々あった。
チエの章ではどこか牧歌的で、殺人を犯し逃げているはずのチエミがあまりにものんきで、彼女と一緒にいる翠ちゃんがかわいくていい子でほっとした。
同時に、みずほや他の女の子から見たチエと本人の視点から見えるチエの性格があまりに違いすぎてびっくりした。
人はそんなに普段フィルターを通しているものなのか。それとも年下といるからチエが自然といい「おねーさん」になっているのだろうか。後者だとしたら、チエを心配し友情を感じているみずほの存在が、チエの成長を妨げていることになり皮肉だなと思った。
そしてこの本は、母と娘の物語でもある。
みずほと母親の関係、チエミと母親の関係。これを読んだ女性は必ず自分とその母親の関係を思い浮かべるに違いない。それがうまくいっていれば何も問題ないが、そうでないのならばこの本はかなり痛い凶器となって突き刺さるだろう。
娘を支配しようとする母、娘に依存する母。おそろしいのはそこに愛情がないからではなく、愛情があるからである。
私はみずほと母の関係に近かった。その分みずほの叫びは他人事ではなくより悲痛なものとして読み進めるのが苦しかった。
ちなみに彼女の悲痛な叫びをそのまま帯にした「お母さん これはひどい。」は帯としてひどいと思ったのは私だけだろうか。
以下、ネタバレ含むので未読の人は注意
タイトルの数字の意味は後半ぎりぎりに出てくるが、著者にしてはひかえめな伏線が冒頭にすでにあったのだなと後になって思った。チエについての説明で誕生日がさらりと書いてあるのにまったく気がつかなかった。ちなみに8月7日はドラえもんののび太の誕生日でもある。ドラえもん好きな著者のことだから、わざとだろうなぁ。
ラスト、みずほとようやく会えたチエの「みずほちゃん、私何もない」は泣けた。彼女を支えていたわずかな希望。それが無くなってしまったとわかった時の絶望ははかりしれない。
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