いくつもの週末と本
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手紙のはなしをしよう
小学生の時の話。
当時、私には親友と呼べる友達がいた。
だが不幸なことに、両親の仕事の都合で彼女は遠距離に引っ越してしまった。
そこから彼女と私の手紙のやりとりが始まったのだ。
最初は一週間、もしくは10日に一度くらいのやりとりだった。
それがいつの間にか次第に間隔が開くようになってしまった。
互いが忙しかったせいももちろんあるが、一番の要因はお互いに書くこと、伝えたいことが多すぎたからだと思う。
クラスのこと、先生のこと、入ろうと考えているクラブのこと、好きな男の子のこと。
伝えたいことをしたためるうちについ長文になってしまい、気がつくと手紙を出すのが遅れがちになっていた。
そしてどんどん手紙の枚数は増えていった。
いつの間にか手紙は月に一度届くとよいくらいになっていた。
手紙の枚数はゆうに10枚を超えていた。
私と親友はお互いに一生懸命だった。
ちゃんとした手紙を書くために、枚数にふさわしい内容で埋めるために。
そこからは容易に想像がつくと思う。
いったい誰が10枚以上の手紙を日常的に書けるのだろうか。
私と親友とのやりとりは2~3ヶ月に一度あればいいくらいになってしまった。
彼女と私はまさに似たもの同士だったのだろうと思う。
もしどちらかが相手を気にせず1~2枚の手紙をよこしていたらならば、また結果は違っただろう。
一生懸命過ぎた私達は、残念ながら音信不通という長い期間を共有することとなる。
それはまた後日のこと。
当時、私には親友と呼べる友達がいた。
だが不幸なことに、両親の仕事の都合で彼女は遠距離に引っ越してしまった。
そこから彼女と私の手紙のやりとりが始まったのだ。
最初は一週間、もしくは10日に一度くらいのやりとりだった。
それがいつの間にか次第に間隔が開くようになってしまった。
互いが忙しかったせいももちろんあるが、一番の要因はお互いに書くこと、伝えたいことが多すぎたからだと思う。
クラスのこと、先生のこと、入ろうと考えているクラブのこと、好きな男の子のこと。
伝えたいことをしたためるうちについ長文になってしまい、気がつくと手紙を出すのが遅れがちになっていた。
そしてどんどん手紙の枚数は増えていった。
いつの間にか手紙は月に一度届くとよいくらいになっていた。
手紙の枚数はゆうに10枚を超えていた。
私と親友はお互いに一生懸命だった。
ちゃんとした手紙を書くために、枚数にふさわしい内容で埋めるために。
そこからは容易に想像がつくと思う。
いったい誰が10枚以上の手紙を日常的に書けるのだろうか。
私と親友とのやりとりは2~3ヶ月に一度あればいいくらいになってしまった。
彼女と私はまさに似たもの同士だったのだろうと思う。
もしどちらかが相手を気にせず1~2枚の手紙をよこしていたらならば、また結果は違っただろう。
一生懸命過ぎた私達は、残念ながら音信不通という長い期間を共有することとなる。
それはまた後日のこと。
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