いくつもの週末と本
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給食袋のはなしをしよう
「理不尽」というものを強く感じたのは小学校4年生くらいだったろうか。
当時、給食当番のエプロンは持ち帰り洗濯して次の当番に渡す決まりとなっていた。私はいつものように持ち帰って母に洗濯してもらったそれを、いつもとは違い自分でたたみ袋に入れた。翌週次の当番の子に渡すと嫌な顔をされた。つまり「たたみ方が下手。だから洗濯してない」と言われてしまったのだ。
私は慌てて説明した。洗濯はちゃんとして今回は自分でたたんだ。だからあまりうまくたためてなくて申し訳ない。でもそれは決して洗濯していないからではなく不潔でもない、信じてほしいと。必死に訴えた。その子の言葉は「もういいよ。これ以上言ったらこの子泣くし」と、全く信じてもらえず終いだった。
その時なんとも言えない気持ちになった。私は間違ったことを言ってない、本当のことしか。にも関わらず信じてもらえないことがあるのだ。実際に洗濯したかどうかより、見た目が綺麗にたたまれているかの方が重要なのだ。私の必死の訴えも逆効果で、嘘を言い訳しているようにとらえられてしまうのだと。
当時はただ悲しく、もう二度と自主的にたたんだりするもんかとふてくされもした。特に1番悲しかったのは「私が何を言おうと周りに信じてもらえる子なら良かったのに」というものだった。私じゃなくもっと信用のおける子だったらこんな展開にはならなかったんじゃ…という想像は1番私を打ちのめした。これは今もそうで、私の不安要素だ。でもこれを糧に私は「綺麗にたたむこと=信用を得ること」と「綺麗にたためてなくともそのままの言葉を受け入れてもらえる=信頼を得ること」の重要性を痛感できたと思う。特に後者が人間関係において大事であり、そう思ってもらえる人になりたいなと。悲しい記憶でありやりきれないものだが、決して無駄ではない。今ならそう思える。
当時、給食当番のエプロンは持ち帰り洗濯して次の当番に渡す決まりとなっていた。私はいつものように持ち帰って母に洗濯してもらったそれを、いつもとは違い自分でたたみ袋に入れた。翌週次の当番の子に渡すと嫌な顔をされた。つまり「たたみ方が下手。だから洗濯してない」と言われてしまったのだ。
私は慌てて説明した。洗濯はちゃんとして今回は自分でたたんだ。だからあまりうまくたためてなくて申し訳ない。でもそれは決して洗濯していないからではなく不潔でもない、信じてほしいと。必死に訴えた。その子の言葉は「もういいよ。これ以上言ったらこの子泣くし」と、全く信じてもらえず終いだった。
その時なんとも言えない気持ちになった。私は間違ったことを言ってない、本当のことしか。にも関わらず信じてもらえないことがあるのだ。実際に洗濯したかどうかより、見た目が綺麗にたたまれているかの方が重要なのだ。私の必死の訴えも逆効果で、嘘を言い訳しているようにとらえられてしまうのだと。
当時はただ悲しく、もう二度と自主的にたたんだりするもんかとふてくされもした。特に1番悲しかったのは「私が何を言おうと周りに信じてもらえる子なら良かったのに」というものだった。私じゃなくもっと信用のおける子だったらこんな展開にはならなかったんじゃ…という想像は1番私を打ちのめした。これは今もそうで、私の不安要素だ。でもこれを糧に私は「綺麗にたたむこと=信用を得ること」と「綺麗にたためてなくともそのままの言葉を受け入れてもらえる=信頼を得ること」の重要性を痛感できたと思う。特に後者が人間関係において大事であり、そう思ってもらえる人になりたいなと。悲しい記憶でありやりきれないものだが、決して無駄ではない。今ならそう思える。
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