いくつもの週末と本
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ちいさいモモちゃん~子どもと子どもだったすべての大人へ~


モモちゃんとアカネちゃんシリーズは全6作からなり、主役であるモモちゃんの誕生から13歳までの年月を描いたファンタジーだ。モモちゃんのモデルは著者の長女であり、登場する一家とそのエピソードは実際に松谷みよ子が体験したことが元となっている。
小さいモモちゃんが生まれてからのほほえましい日常の話が縦軸に、飼っている猫のプーや妹のアカネちゃんに、ママの手編み靴下のタッタタァタなど魅力的なキャラクターが横軸となり、それらが織りなす毎日がとても魅力的で楽しい。
私が初めてこの本を手にしたのはおそらく小学校中学年だったと思う。そこから一気にシリーズの4作目までを読んだが、小学生でも特につまることなくすらすらと読めた。
だが今思うと、子どもが本を楽しんで読めることと、内容を理解して読むのはまた別だなと感じる。それがシリーズは全6作なのに、私が4作目までしか読んでいない理由だ。赤ちゃんだったモモちゃんが成長してゆく様は楽しく、それは年が6つ離れた妹のアカネちゃんに引き継がれ、再び赤ちゃんの成長物語を楽しめる。
でも赤ちゃんはいつまでも赤ちゃんではなく、モモちゃんもアカネちゃんもどんどん成長し年を重ねてゆく。それに伴い子ども達を取り巻く環境も変化してゆく。
幼い私は、おそらくシリーズ5作目の『アカネちゃんとお客さんのパパ』の途中までは読みかけたのではないか。でもそこで中断してしまった。なぜなら、主役のモモちゃんはそこで9歳から11歳になってしまうから。読んでいた私の年を追い越した段階で、モモちゃんとアカネちゃんシリーズは私にとって「未知の物」となってしまった。また、5作目はモモちゃんとアカネちゃんのパパの死に、戦争というネガティブな章も含まれている。楽しんで読んでいたうちはよかったが、ここからは理解が必要となり、ギブアップしたと思われる。
だが、そんな私でも印象深い部分がある。
モモちゃんとアカネちゃんは一家四人で、子ども2人に主人公であるママ、それとパパという構成だった。それがシリーズの途中でママとパパが離婚してしまうのだ。これには当時もえっ?と驚いた。児童文学、それも擬人化したキャラクターがたくさん登場するファンタジーで、離婚を扱うのは珍しいのではないかと思う。本ではママとパパが突然離婚したわけではなく、徐々にすれ違っていく様や表情が暗く思い悩む様、思い切って占い師のおばあさんに相談に行く様まで丁寧に描かれている。
疲れて足が重くなったママは、森に棲んでいるおばあさんの家に行く。そこでおばあさんに言われるのだ。パパは歩く木であり、ママは育つ木であると。どちらも一つの鉢にいることで枯れかかっている。だから別々になったほうがいいと。
私が幼い頃は今ほど離婚が大っぴらに語られることがなく、児童文学でも『二人のロッテ』のように、結果としての離婚しか見たことがなかった。他に書かれていたとしてもそれは「子どもの視点から見た離婚」である(だから大人は勝手だよなのように)この「大人の視点から見た離婚」がほのぼのファンタジーと同時に描かれているのは衝撃で、だからこそ私は「そうか、一緒にいるとどちらも枯れてしまうなら離れたほうがいいな」と素直に離婚を肯定的にとらえることができたのだと思う。
また今読み返すと「歩く木であるパパの肩にいる宿り木」の存在など、チクリと刺す毒もあり、きっと大人の視点でも楽しめるのではないだろうか。
実際に私自身も姉妹のママとなり子育ての大変さと楽しさを味わう毎日だからこそ、今読み返したら新たな発見もあるに違いない。その時は今度こそシリーズ最後の6作までちゃんと読もうと思う。
著者松谷みよ子さんのご冥福をお祈りいたします。合掌。
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